願はくは 花の下にて春死なん そのきさらぎの望月のころ (西行)
深草の 野べの桜し心あらば 今年ばかりは墨染めに咲け (上野岑雄)
丸谷才一氏に「桜もさよならも日本語」と言う題名の著書がある。(昭和61年 新潮社)この本は昭和49年に出版された「日本語のために」(新潮社)の続編とでもいえるものである。氏はその著書の中で、国語教科書批判や現代日本語の問題点を用例を挙げながら鋭い視点で論じている。今ここで、日本語論を展開するつもりは毛頭ない。本の題名となっている「桜」と「さよなら」である。「さよなら」については別に述べるとして、ここでは「桜」についてふれることにしよう。
毎年、3月になると桜前線なるものが南から北上し始め、東海から関東にはおおむね3月下旬にやってくる。咲いている桜の花を見るたびに、冒頭の二つの和歌が私の頭に浮かんでくるのである。この二つの和歌に出会うまでの私は、どちらかといえば桜はあまり好きではなかった。桜が咲くころは雨も多く、地面に落ちて泥にまみれた桜の花びらが薄汚く見えたからである。
西行の歌は、彼の辞世の句である。北面の武士というエリートの地位を23才の時に突如出家をして捨て去り、以来50年近く日本全国を行脚して廻った。最期にこの歌を詠んだ時の西行の気持ちは、自分の人生に対する満足感できっと満たされていたと私は思う。 ほどなく、西行は安らかにその願いを叶えたのである。
桜の季節が来ると思い出す、もう一つの歌が上野の歌である。(この歌の作者はこの一文を書くまで知らなかった。)私がこの歌を知ったのは、「あさきゆめみし」(作:大和和紀)という漫画を読んだ時であった。「あさきゆめみし」は源氏物語の漫画版といったもので、私が高校生の頃結構流行っていたのだ。
藤壺の宮が亡くなった時に光源氏が悲しみにくれる場面で、この歌が詠まれていたのである。光源氏の藤壺の宮に対する深い愛情とその死を悼む深い悲しみを、この歌が見事なまでに表現していた。そして、光源氏の悲しみが届いたのか、一夜にして満開の桜はすべて散ってしまったのである。
風に吹かれて舞い散る桜吹雪は本当に美しいが、私にはどこかもの悲しく感じられてしょうがない。
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